エトスとは製品そのものである
エトスの未来とzkSyncのあり方
企業とその企業によるマーケティング手法が発達した現代において、「エトス」は粉飾以上の意味を持つことはほとんどありません。宣伝をする側にも、される側である顧客にも信用されることのない決まり文句です。
しかし、それが変わろうとしています。この新しい時代には、エトスは製品そのものを意味するものなのです。
I. エトス:善意から優れたコーディングへ
1990年代後半、Googleのあるエンジニアがホワイトボードに小さな文字で「Don’t be evil(邪悪になるな)」と書いたことはよく知られています。
これは、Googleが特定のビジネスパートナー(この場合のワシントン・ポスト)を優遇するために検索結果を恣意化しているのではないかという懸念から誕生した文言です。その後、この言葉はビッグテックの欠点を示す風刺として使われるようになり、その後、Googleの行動規範の重要な部分として記されるようになりました⁵。
Web3が登場するまでは、エトスとは、「創業時に重要視され、会社の規模の拡大につれ、重要性が低くなったり、排除されてしまうもの」でした。
エトスの起源
アリストテレスは代表作『レトリック』の中で、エトスを「説得のための3つの技術的要素の一つ」と定義しました。ここで言う「エトス」とは話し手の性格や信用を指すもので、抽象的に高貴さ、老齢、男らしさ、豊かさなどを指します。
現代のエトス
これまでエトスは様々な形で表現されてきました。Googleの「Don’t be evil」は、私が「約束の」エトスと呼ぶものの一例であり、信頼に基づく道徳的アイデンティティーのジェスチャーを意味します。要するに、「私たちは善良である」という約束です。言い換えると「私たちはXを大切にします、だからYはやりません」というものです。これは、多くのWeb2大企業に見られる性質です。
善意の死
Web3という概念の誕生以前は、企業の最終目標は株式公開でした。その達成のために、新興企業はベンチャーキャピタルから資金を調達し、ベンチャーキャピタルはまた、取締役会の一員として組み込まれ、株式価値を高めるという法的/受託的な責任を負う存在として機能していました。会社が成功するにつれて、エトスは重要な状態から、自然に「鬱陶しい存在」へと変化していきます。エトスは収益性や株価を阻害するものとなり、取締役会は法的に要求される行動、すなわちエトスの排除する方向に舵を取るようになります。
「Web3は、その性質からして異なります。Web3では、企業は企業でなくなることを選択することができます。同様に、従来型の取締役会を持たず、従来型の証券取引所に「公開」しないことも選択できます。むしろ、エトスを取り除こうとする受託者の意志から解放され、真の意味で公の場に姿を表し、エトスを最大化することが受託者の義務の一つにとなるのです。」
エンコードされたエトス
Web3では、エトスの別の実装、つまり「エンコードされた」エトスを選択することができます。この例として道徳的主張がプラットフォームにプログラムされています。
タイプ1の意図的なエトスが「悪になるな」であるなら、このタイプ2のエンコードされたエトスは「悪になれない」といえるでしょう。⁸
重要なことは、不変の公共財を創造し提供することにあります。また、価値中立的な製品に倫理観がコード化されている場合(例:証明可能な倫理的サプライチェーンを持つ靴ブランド)には、その製品自体を倫理観の表れとして保持することができます。これが「zkSyncの正体」です。私たちのエトス(Matter Labs)とzkSyncの価値提案は、主権という一つのエトスで一致しています。
「主権とは、単にハードコードされたモラルではなく、我々のプロトコルが行うことである。」
II. エトスの時代
しかし、エトスをどのように表現するかは、それが望まれているかどうかということと多くの点で交わっています。
そして、ユーザーはエトスを気にするのでしょうか?
製品の特徴を分析するフレームワークとして、KANOモデルが有名です。このモデルでは、特徴を以下のように分類します。⁹
(a)必須、(b)喜び、©1次元、(d)中立、(e)逆
逆の特徴は、ユーザーの満足度にマイナスの影響を与えます。1 次元的な機能は、あると満足、ないと不満になる機能。「必須」と「中立」は、それ自体を表しています。
これらの特徴をプロットすると、下のようなグラフになります:
このフレームワークは、例えば「検索バーの有用性の評価」に使われます。また、エトス(製品機能としての)の時間的な進化について語るためにも使うことができます。ここで主張したいのは、社会の進化に伴って、エトスが「Delighter」→「1-Dimensional」→「Required」と変化してきたということです。
実際、主権者である個人の価値観が支配する未来では、製品(プロダクト)という言葉はもはや存在せず、エトスに置き換わるでしょう。そして、この世界では、私が最後のチーフ・プロダクト・オフィサーであり、最初のチーフ・エトス・オフィサー-CEthO-になることを願っています。
エトスの台頭
エトスは経済的にあらゆるところで顕著に現れています。食品の包装に貼られたステッカー、Shopifyのランディングページにおける慈善活動の誓約、ファッションにおける透明なサプライチェーンなど。企業がこれらの約束を守った場合に私たちは満足し、そうでなければ私たちは不満を抱きます。今日では、「道徳的な無駄」の存在が期待されているのです。スタートアップ企業は製品を作り、その後、ミッションを埋めなければならないことに気づきます。それは約束された、平凡なものではありますが、確かにそこに存在し、徐々に重要性を増してきました。
エトスの支配
Web3では、エトスをさらに連続体として存在させながらに目標へと向かわせます。Web3のユーザーによるコミュニティは、エトスを必要としているのです。しかも、それは信頼できる約束ではなく、不変に符号化されたものであることが要求されます。なぜでしょうか?
ブロックチェーンの前提は、まさにエトス駆動型なものです。ユーザーは、異なる文脈からWeb3アプリケーションを選択しており、その文脈とは、「主権の要求」が根底に存在するのです。
「私は、既存のWeb3製品がすべて道徳的な基盤を持っていると主張しているわけではありません。私が言いたいのは、そうでない製品は、そうである代替品に対して最終的に失敗するであろう、ということです。」
エトスとリーダーシップ
エトスの重要性が高まれば、リーダーシップのあり方も変化してきます。現在はまだ初期段階ですが、エトス主導のリーダーの台頭は、今後10年間に起こる権力のシフトの中で最も重要なものの一つとなるでしょう。具体的には、実行する方法や規模を拡大する方法、勝つための情熱、意欲、競争力を持ち、使命感、エトスの表現としてそれを実行していく人です。社会はエトスを持った企業や製品を求めるようになるかもしれませんが、エトスを実現するのは、エトス主導のリーダーなのです。
III. MVPからMVE(Minimum Viable Ethos)へ
エトスの最小限のコード化は、ソースコードで可能となります。つまり、オンライン上の公開リポジトリで公開されている所謂「コード」です。技術的に言えば、エトスは目に見えないようにコード化することもできます(クローズドソース)。しかし、監査可能なものでなければ、検証することはできません。コミュニティの重要性を謳いながら、分裂を引き起こすようなアルゴリズムを推進するようなテクノロジー企業を、誰も求めてはいないでしょう。
オープンソースは、エトスの暗号化におけるネクストレベルをもたらします。オープンソースのライセンスは、単にソースが入手可能なだけでなく、ユーザーがその技術を改変し、あるいは改変せずにフォークすることが許可されています。この場合、エトスは監査可能であり、拡張可能です。ユーザーはソフトウェアをフォークして、さらに倫理をエンコードしたディストリビューションを作成することができます。これによって、ユーザーはベンダーロックインから解放され、外部依存することなく技術を拡張することができるのです。
IV. 製品ではなく、エトスをスケールさせる
私たちは、約束されたソフトウェア倫理の時代を過ぎ、コード化の時代へと移行しています。エトスが、マーケティングに対する従属的なミームではなく、製品の主要な決定要因になる時代が訪れているのです。
「これからの時代、エトスは舞台袖の脇役から、舞台の中心に立ち、さらに舞台そのものとなるのです。そこには、かつての忠実な役者たちを照らす光は、もうありません。」
私たちの約束はシンプルです。
私たちは製品を作っているのではありません。